主人の仕事の関係で、26歳から5年間台湾で暮らしました。
台湾での言葉は、基本的には北京語。
「ニイハオ」と「シェーシェー」しかわからないまま、台湾へ。

北京語を「勉強するならトコトン!」「やらないなら全くやらない。」のどちらかにしようと思いました。
迷った末「やるならトコトン!」を選び、「国立台湾師範大学国語中心」に入学することに決めました。
この学校は留学生達が北京語を学ぶ学校で、台湾で北京語を学ぶには
一番厳しい学校として有名でした。
入学にも最終学歴の成績証明書や卒業証明(日本から取り寄せ)、推薦状2通、健康診断などが必要で
言葉の通じない場所では健康診断ひとつにしても苦労がつきもので、準備は大変でした。

師範大学に行くまでの半年近くは、民間の語学学校でマンツーマンで勉強しましたが
先生が日本語を話せたため、たいした成果はあがりませんでした。


半年勉強したとはいえ、まだまだレベルは初級。
ひとクラス3〜5名の少人数制なので、発言しないというのは許されず、
月〜金まで毎日2時間の北京語しか通じない授業は、毎回胃が痛くなるような感じ。(笑)
聞き取れない部分もあるので、最初は宿題も「やってきなさい」と言われたものと、
「やっていったもの」が微妙に違う。(笑)
同じクラスに日本人がいればまだしも、いない場合は、頼れるのは自分の耳だけ。
「○○日にテストをします。範囲は○〜△まで」なども、聞き間違えないように、もう必死!

「中国人が普通に話すスピードに慣れなさい」いう理由で、「請再説一次。(もう一度言ってください)」はOKですが
「請説慢一点。(もっとゆっくり話してください)」は、許されませんでした。


初級のうちは、日本人・韓国人はだいたい同じクラスで、その他の外国人とは、基本的には分けられていました。
漢字に慣れていない人たちのクラスは、漢字の書き順から始める場合も多く
それは、漢字に慣れている日本人と韓国人にとっては耐えられないほど退屈。(笑)

「読む、書く」は日本人にとっては有利ですが、「聞く、話す」は、欧米人の方が発音的に有利な感じでした。


ひとつの学期は3ヶ月。3ヶ月ごとの更新でした。
「今までの人生で、こんなに勉強したことなかったな〜」などと思いながら頑張り、耳も少しずつ慣れ、
いくつもの学期を終えていきました。

1年半くらい経った頃かな?また急に辛くなりました。
それまでは、外国人用に作られたテキストをレベルに合わせて選択し、少しずつレベルが
上がっていったわけですが、基本的なテキストが終わると、今度は新聞や小説など、
中国人と同じものを読むようになるわけです。
毎日たくさんの単語を辞書で引き、それらを覚えていくことの繰り返し。

辞書はずっと「中日辞典」を使っていましたが、その頃その辞書に限界を感じはじめました。
日本語で意味が書いてあるのに、読んでも意味がわからない。(笑)
名詞などは問題ないのですが、日本にはない習慣とか文化の違いに絡むような単語は、
辞書を引いても「結局どういう意味??」と感じるものが多くなり、
友人に相談したら別の辞書を紹介してくれました。
それは「中中辞典」というか、いわゆる中国人が使う国語辞典。
英語で言えば「英英辞典」です。
もう、これには目からウロコ!
「中日辞典」では意味不明だった単語が、スッキリわかる!
「ニュアンスがわかる」というか、無理なく意味が理解できる感じで、その日からその辞書の虜でした♪

普段からその辞書を使っていると、テストの時にも楽なことがわかりました。
熟語が書いあって「その意味を書きなさい」っていうような問題も、日本にいるわけではないので
北京語で答えを書くわけです。
その時に、辞書で見た表現方法なんかが頭に入っていると、
必要最低限の言葉で的確に答えを書く事ができました。


2学期くらい休学をしましたが、結局正味3年半、師範大学で勉強しました。
最後の学期は、その学校で最高のレベル「ニュースを見て討論する」クラスにいました。
しかし、やはりニュースは、バラエティーやドラマなどと比べると言葉も違うし、
すっごく集中しないと聞き取れない。
魔がさして(笑)「今晩のご飯、何にしようかな?」なんて考えてしまったら、アウトです。(笑)

しかも、「これでもか!」っていうくらい四字熟語をふんだんに使って話すのです。
それまでにも、かなりの四字熟語を学んでいましたが、まだまだ知らないものも多く、
はじめて、「いくらやってもキリがない。もうウンザリ」って感じました。
それくらいのレベルになると、学ぶ目的がハッキリしていなと、「もうこれ以上はムリ」って感じるかも。

その後、何かの本で、「語学は『キリがない』って感じた時には、すでにかなりのレベルになっている」
という文章を読みました。
確かにそうかもしれないな〜っと、その時思いました。


話せるようになるには、やはり個人差があります。
どういうタイプが、なかなか話せるようにならないかというと、「普段から大人しい人」と
「いつまで経っても、まず母国語で考える人」のような気がしました。
大人しい人は、やはり発言回数が少ないから、なかなか北京語で話すことに慣れない。
そして、まず母国語で考える人は、それを直訳しようとする傾向が強いので、難しくなってしまいます。
母国語と外国語ではボキャブラリーが違うので、頭を外国語モードに切り替えて直訳を避ける方が
早く話せるようになると思うのですが、いつまでも「直訳型」の人っているのです。


台湾在住の日本人の奥さんたちは、たいがい北京語を話せないまま帰国します。
駐在の奥さんの中にも何人も師範大学に通う人はいましたが、全体数からみると、ほんの
一部の人たちだったので
「師範大学に通っている」というだけで、一目置かれるようなところがありました。
さらに、そこで奨学金を取ると、ちょっと有名になったりします。(笑)
奨学金はかなりの金額で、とても魅力的でした。(o^-^o) ウフッ

でも、もらえる人数に限りがあるし、なんといっても厳しいのは国別の人数制限でした。
日本人は人数も多かったので、一問のミスが命取りになったりします。
3ヶ月間無欠席、全てのテストで80点以上とれば、申請の資格ができますが、
人数の多い日本人は全てのテストで95点以上取らないと無理でした。
テストは筆記ばかりではなく、会話やヒアリングもあるので大変。
「でも絶対にもらう!」と心に誓い(笑)、ある学期で奨学金を手にした時は、もう夢心地でした♪

その奨学金を学費に当てず、自分にエルメスの時計を、主人にダンヒルの時計を買った
悪い生徒でした。(笑)


2003/08/26 up
勉強した教科書。
お世話になりました♪
北京語の教科書はこんな感じ。
全部漢字です。(当たり前♪)

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